アンパンチと「表現の自由」

相変わらず銃乱射事件による痛ましい犠牲者が後を絶たないアメリカですが、先日、ヒスパニック系移民の多く住む街として有名なテキサス州エルパソで22人が犠牲となった白人青年による銃乱射事件を受けて、アメリカのトランプ大統領が会見していたんですね。その会見の内容が記事になっていました。

「トランプ大統領、エルパソ乱射でインターネットとゲームを批判」

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1908/06/news062.html

アメリカ国内の保守層を支持基盤とするトランプ大統領が銃規制の必要性について何も言及しない(※アメリカの保守派の方々は銃所持は憲法上の権利だと思っている。『大草原の小さな家』みたいなのが理想。)というのはまあお約束なのですが、思わず「やれやれ」と思ったのは、「事件はネットと残虐なゲームの影響だ!」と言って、事件にこじつけて表現規制の必要性を強調していたことです。

どうやら、トランプ大統領の言い分は、今のご時世、世の中にはひどく残虐なゲームがあふれていて、若者がこうしたゲームに耽溺した結果、ゲームの悪影響で、現実世界でも銃をゲーム感覚で乱射して人を大量虐殺するのだ、と。だから、こういう残虐なゲームは規制すべきなのだ、ということのよう。

この手の主張、ここ日本でも何十年も前からずっと延々繰り返されているもので、日本の場合、マンガ、アニメ、ゲームが標的となってきた歴史があります。そして、規制肯定派と「表現の自由」を守れという立場とが対立してきました。

確かに、たとえば親の立場からすれば、自分の子どもには見せたくないと思うような残虐表現や性的な表現というのが世の中にあるのは間違いないでしょう。

ですが、今のところわかっているのは、表現内容が受け手の行動に直接影響を与えることを実証するデータはなく、あるとすれば、ごく短期的な気分への影響のみ(例としてよく出されるのが、カンフー映画をみて、映画館からでて「あちょー」とやっちゃう、というやつ)。ただし、当該表現を受け取る際の環境(たとえば、反社会的な行動を賞賛する人たちに囲まれて生活しているなど)次第で、当該表現に描かれる反社会的行為を肯定的に捉える価値観を獲得してしまう可能性はあるかも、という程度。

とすると、問題とすべきは表現内容自体ではなくてむしろ表現の視聴環境であって、表現内容にまで踏み込んで規制する根拠(必要性や合理性)が乏しい、ということで、この手の問題は、表現内容を規制するのではなくてゾーニング(その表現を見たくない人(または子どもに見せたくない親)が見ないですむような手立てを講じること。R18とかですね)で解決しましょう、というのが、これまで一応のコンセンサスだったはずなのです。

ところが、トランプ大統領の発言は、こうした今までの議論の流れと蓄積をすっ飛ばしてて、一気に80年代あたりにタイムスリップしたような気分にさせられてしまったのですが、ここ日本でも時期を同じくして、もっと脱力する記事が……

「「アンパンチ」で暴力的に? 心配する親も…メディアの暴力シーンは乳幼児にどう影響?」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190811-00046060-otonans-life

なにやら、子どもに『アンパンマン』を見せたら、影響を受けて暴力的になってよくないのではないかと心配する親がいるとか。うーん……もはやここまで来ると手の施しようがないというか、ほんとうに「やれやれ」としか言いようがないんですが。子どもがアンパンチの真似をしてても、ちゃんと大人が注意すればいいだけの話で、暴力的な子に育ったりはしません。当たり前の話ですが。

でも、何か事件があったときに安易にマンガだのアニメだのゲームだのの影響を持ち出してやたら表現規制を言い募るのは間違いだということをわからせてくれる、という意味では、いい題材なのかもしれません。

弁護士 松田 健人