刑法は“ケシカラン罪”であってはいけない、と思う

自分のサイトにアクセスしてきた他人のパソコンを利用して仮想通貨のマイニング(採掘)をするプログラムを使った人が、神奈川県警などから摘発された、というニュースが入ってきました。

 

「他人のPC「借用」仮想通貨計算 ウイルスか合法技術か」

https://www.yomiuri.co.jp/science/feature/CO017291/20180611-OYT8T50002.html

 

事件の概要は記事に詳しいのでそちらを参照してもらえればと思うのですが、これを刑事罰の対象として良いのかについては、おおいに疑問があります。

記事にも触れられているように、これまでも、アクセスした人の意思にかかわらず、勝手に他人のPCに働きかけて、例えばポップアップ広告などを開かせる類の技術は普通にあったわけです。それはそれで、別に見たくもない広告をパカパカと強制的に見せられる側からすると、イライラさせられるものではありました。

一方、他人のPCを利用して勝手にマイニングする技術も、知らない間に自分のPCが作動させられて他人がそれで上手いこと金儲けしてると思うと、たしかに利用された側は、不愉快だろうなとは思うのです。

ですが、これをウイルスと同視して犯罪として取り締まるならば、他の同類の技術がセーフなのに何故マイニングだけがアウトなのか、一体その線引きがどこにあるのか、合理的に説明がつかない気がします。

そうすると、他人のPCを勝手に使って仮想通貨などという怪しげなもので金儲けしようとする技術はケシカラン!という警察の価値判断が先に立っての摘発ではないのか、という気がしてなりません。

かつて、ウィニーというファイル共有ソフトの開発者が著作権法違反の幇助で京都府警に摘発され、最高裁まで争われて結局は無罪になった、という事件がありました。あの事件でも、著作権違反の違法行為を助長する技術を開発するなんてケシカラン!という、新しい技術に対するある種の偏見のようなものが影響していたように見受けられました。今回の事件にも同じような価値判断が働いているように、どうしても感じられてしまいます。

ですが、刑事罰という人の人生を大きく左右する方法で何かを取り締まる時には、違法と適法の区別をあらかじめ明確にしておくべきで、客観的には同じ行為なのにもかかわらず、取り締まる側がケシカランと思うかどうかで違法か合法かが決せられてはいけないと思います。

今後、裁判で争われていくとのことなので、その判断がどうなるのか、注目したいところです。

弁護士 松田 健人